おみただ記

おみぃのただの日記

桜はまだあと一息

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今日の健康

上 119

下 78

脈 70

 

おー、動悸は変わらずだが、まぁいい調子じゃないか。

 

モフモフにゃんこの匂いは今日も健在だ。

 

漢方を苦いと感じる程度には味覚も存在するぞ。

 

残念なお知らせ

 

朝起きたら藤浪陽性のお知らせ(T . T)

阪神は他にも居るらしい。

 

若いし体力もあるだろうから回復は早いと信じたい。

 

セパ両軍コロナの影響が最小限であっておくれ、頼む‼︎

 

もう実際のところ開幕どころじゃなくなっているのかもしれない。

 

野球選手から野球を取ったらもう何も残らないぞ、頼むからとどまってくれコロナ‼︎

お金持ちからお金を取ったら何が残るのだろうか。わたしゃ元から骨だけよ!

 

それはさておき、コロナよ、野球がお前に一体何をしたというのか⁉︎

 

突然の訃報

午後部屋で一休みしていたらグループLINEでOのお母さんの訃報が入ってきた。母と相談して本日のお通夜に行くことになった。お母さんはものすごく痩せていらした。最後に会ったのはいつだったのか30数年前だろうか。Oもしっかり喪主を勤めていて頼もしい思いがした。帰ってきてOに会うのはこれが2回目。がんばれOよ、きみは一人じゃない。われわれがついてるぜ!負けるな!

 

帰りに.受付に立っていたYに声をかけた。何十年ぶりだろうか。中学の卒業以来だとすれば30数年ぶりか。少し白髪になっているだけで何も変わっていなくて嬉しくなった。

 

それにしても、異教徒として出席する葬儀は霊的に鈍感な私のような者でもかなり疲れるものだ。わたしゃあいにく浄土真宗じゃあございません。

 

お経の時間と言うものはどう時間をつぶしていいかわからない。敬虔な仏教徒の人々は、一体どのようにこの時をお過ごしなのか一度詳しく伺ってみたい。私は聖職者ではないが、まかり間違ってそのような立場になるようなことがあれば、故人を一同でお見送りする葬儀では、異教徒の1人や2人おられるにちがいないが、その方々の居心地が悪い思いをしては居られないかぜひ気を配りたいと思った事だった。疎外感の中で大切な故人を送るほど残念なことはないぞ。

 

この国は憲法で信条の自由が保障されているよね?

 

そう誰かに問いかけたくなった葬儀であった。

 

将来母を送るときにはそれは母の信じる信仰を全うさせてやらねばなるまい。

 

ということはその時は、異教徒の聖職者にお世話になるわけで、そこのところが正直今から気がかりだ。

 

相容れない信仰を持つ同士は、顔で笑っても、内心火花がバチバチしてしまうものだ。ことばにせずとも肌で感じる。今日の私はきつい視線を送ってはいなかっただろうか。

 

久しぶりに自分の中に闘いたい心があるのにハッとする。

 

いけない、負けるが勝ちのいつもの私に戻りましょうよ。

 

人生の根本的な価値観の相容れない相手に対して、なおさら敬意を失ってはならないと重く重く受け止めた。

 

腐っても鯛

もはや今は教会に行けてもいない瀕死の隠れクリスチャンではあるが、今日の葬儀はあくまでも私はキリスト者なのだと再確認させてくれる機会となった。

 

いつか形を変えた踏み絵のようなことがあるかもしれない。根性なしのクリスチャンだが死ぬときまで私は一キリスト者でいたい。それがイエス•キリストを知ってしまったもののつとめだろう。

 

イースターを来月に控えること時期に、自分が誰かを久しぶりに思い出せて本当に良かった。